大学の存在意義は何ですか?の質問に答えるための記事

 大学は何のために存在していと思う?このような大学の存在意義を問う面接の質問に、あなたは答えることができますか?答えられないのはそもそも大学が何のために存在しているのかを深く考えたことがないからです。この記事を読めば、歴史的な大学の存在意義を知ることができ、大学に対する抽象的な質問にスマートに解答できるようになるのです。

1.教育はそもそも何のためにあるの?

そもそも教育とは何なのでしょうか?あなたは大学の職員の採用試験でこのように聞かれるのです。
あなたはその都度、教育に対する熱意を問われます。実は大学や教育者を目指す人にとって大切なのは、
自分なりの教育観を抱くことなのです。このコンテンツをあなたが思う教育観のヒントにしてください。

1-1.いらないようでいることを教えてくれるのが教育。

教育とは、教育を必要としない人間を育てるのが教育です。私たちは教わらなかったら計算も漢字も、地理も歴史も知ることができません。義務教育というのは、最低限の国民に対する保障です。私たちは義務教育を受ける権利があるのです。しかし、そこで学べる内容というのを私たちは選ぶことができません。義務教育で学ぶべきことは国が決めるのです。
そのような意味においては、私たちは主体的に何かを学ぶという姿勢にかけてしまうし、主体性がつきにくい環境にあると言えます。
そしてある意味、自分の歩む道を初めて選択するのが大学なのです。

1-2.勉強を無駄に感じる人が多すぎる本当の原因

トルストイ国民教育論ではこのようなことを話しています。
「国家と国民それぞれが、制度としての学校教育に何を期待するかのずれが不満の原因なんだ!」と。
つまり私たちがなぜ勉強を退屈に感じてしまうのか。それは学校での学びが、実生活において役に立つ実感が薄いからです。
また、学ぶ内容も全員がほとんど同じカリキュラムなために自分の意思でカリキュラムを決められることはありません。
ここから学べることは、学習する側としたい側のニーズが合わない勉強は意味が希薄ということです。
そして私たちのモチベーションというのは、自分で選択すること、つまり意思を持って行動する主体性を持つことに大きく起因しているのです。

1-3.教育機関に期待されている3つのこと

学校が期待される役割は3つあると言われています。

教育的機能:

人間は生まれながら良くなろうという意識を持っています。
自分の愛し熱中する物(分野)に対して学び成長できる環境を、学生に与えることを社会から大学は求められているのです。
また、そうした集まりの中でのお互いの出会いや交わりを学び、人間関係を学べるのも教育の一つです。

情報的機能:

新しい知識技能、ものの見方がどんどんと研ぎ澄まされていくコミュニティであることが教育機関には求められています。

選抜的機能:

人の居場所はその人を証明する材料となります。類は友を呼び、そこにいる人は社会的にもそう見られ、評価されてしまうのです。
つまり、その人にタグをつける役割を大学は持っているわけです。

2.大学の歴史

教育機関と社会は切り離せません。
それは社会が必要とする人材を育てるのが教育機関の役割だったからです。

2-1.大学の意味は社会と切り離せない

もちろん教養を学ぶことが、新しい考え方の基礎になることなど素晴らしい作用はあります。
しかし、多くの人は社会人として独り立ちする力(資格)や夢を実現する力を手にするために勉強したいわけです。
社会が必要としていることでないと大学そのものの意味が薄れて行くのは当然なわけです。
大学と社会の歴史の流れの表を下に書いておきます。

2-2.高校と大学の存在意義の変遷

1950年
高度経済成長:高卒は社会の42.5%。高校進学は社会的地位の上昇の意味があった。
1950年後半
高度経済成長と進学率は比例=高校に行くことが良い会社に行ける条件になった。
1974年
大学進学は希望者のみの時代
高卒は90%。
スーパーヤコンビニが出来始める。八百屋がなくなり店主の道がなくなる。
算数なんてやっても意味ない、やる意味が分からない人続出!
1975年
高校進学当たり前の時代。
高度消費社会・高度情報社会の到来。
偏差値がもたらされる。
格差社会への絶望と、労働事情と学校教育の隔離から非行が増えたとのこと。
1979年
金髪先生ブーム。
学校の教育内容と労働社会の間で矛盾が表面化したのに対策を打たなかった教育。
1990年代
クローバル化。
日本の単線型システムではなくドイツの小さな学校・複線型システムへ。
学校教育が絶対化ではなく多様で柔軟に相対化されるようになった。
問題が複雑化⇒職員が全て教育で解決させる心の問題・性の問題・キャリア教育。
その割に学校の役割は小さくしていく。
1990年代後半
学校が叩かれ始める。国には任せられないと学校の民営化(ベネッセ)が出てくる。
こども達が利潤追求の消費者として扱われる。
2000年前
学歴の意味が低下したとして資格社会横行。意味のない資格幻想としての資格が流行る。
個性化や多様化の社会は金がかかる。
正社員をそれぞれ雇ったら金がないから専門的知識も派遣で採用。
人材ビジネスの成長とともに、大学は入口と出口の変更にさらされた。
出口が保証されていたからあまり何も取り組まなかったツケが出始める。

2-3.いつも多くの人が苦しんでいることが時代を見ると分かる。

昔は憧れがありました。何になるという明確な未来があった。そのときは勉強にもやる気が起きたのです。
給料も比例的に頑張れば上がる時代です。しかし、職の保証もない。給料も上がらない時代では
勉強の意味が分からなくなるのです。
今の時代は憧れがない時代です。なりたい職業ランキングに公務員が入るとは、つまらない世の中です。
しかし、憧れがないということは、なんにでもなれる時代とも言えます。
このような時代の中で何を教育すればいいのでしょうか。
しつこいですが、教育は社会と切り離して考えることが出来ません。
グローバル化は大学卒業をするというものに、イニシアティブを無くしました。
多くの人を助けるには、あなたはどんな大学が必要だとあなたは考えますか?

3.歴史を知った上で、事務職員は何ができる?

3-1.良い大学とは何か

やはり教育的機能が一番大切か?

大学生活で大切だと思うことという大学生へのアンケートでは、
雰囲気や友達との出会い、人間関係が重視されている。大学の選択の際に選抜機能ばかりが優先されていると考えているが
実は教育的機能が失われていない大切な評価軸であることが分かります。
大学は他の機能は副次的でなければならないと考えるべきなのです。

社会と学生を繋げる

ボランティア活動・社会とのつながりを実感できる体験は主体性を育むきっかけになります。
自分の存在が社会や人の役に立つ経験から、勉強への覚悟が決まるのです。
またボランティアで何が必要か、何が足りなかったかを学習することで、主体性を持ち始めるきっかけになるのです。

3-2.職員の在り方と役割は?

私なら学生の可能性を最大限拡げる工夫をすることと答えます。
職員は何を教えるというものではありません。大学ではそれは教授の仕事なのです。
職員はあらゆるカリキュラムが学生にとってどう働きかけるのかを考えなくてはならない。
教育はどこでもできます。しかし、
資本目的でない大学での指導を受けることで、生徒の人間としての成長をよりよいものにするのではないでしょうか。
大学教育は社会教育の中で一部に過ぎないが、それが社会生活へ重大な影響を及ぼすという点で、また最も組織化された制度という点でも、教育制度の中核であり、社会への影響力も未だに大きいのです。

3-3.結論

戦後は会社が教育を担ってきました。
しかし、会社がパートやアルバイト契約社員など。単純作業だけをやらせうことが多い。
これでは成長しない。教育しようとする姿勢がなくなってきた。
それなら大学が教育力を取り戻せるように改めて考えていかなくてはならないと思うんです。

就職させることでなく、人生を満足させることにこだわれ

就職率だけではなく、その人の長い人生を満足させるために自立させることにこだわるべきだと考えます。
正社員にこだわるのではなく、辞めたいときは辞めてやる、利用してやるくらいのしたたかさを身につけさせなきゃいけないのではないでしょうか。
失業した時にいつでも学び直せるようにしてあげる、そんな社会人が積極的にやり直せる環境を提供しても良いと思っています。